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キャロウェイゴルフ25周年 ~キャロウェイゴルフの歴史~

1982年の創業だから、キャロウェイの歴史は20年にも満たない。1世紀近い伝統を持つウイルソン、マクレガーなど老舗と比較した時、まさに新興勢力である。

 その新しい企業が、人気ドライバー「ビッグバーサ」でツアーの使用率1位に躍り出たのが92年。だがそれもシニアツアー、女子のLPGA. そしてホーガンツアー(現在のバイドットコムツアー)止まり。この時点で最高峰の男子ツアーには届いていない。

 キャロウェイの急成長は続いた。それから3年後の95年、年間5億5,300万ドルの売り上げを記録。メタルウッド、アイアン両部門合わせ業界ナンバーワンに上り詰めている。男子ツアーの使用率1位をクリアしたことも当然だった。

 その人気ブランドを立ち上げた経営者イリ・キャロウェイ氏。7月5日、癌との闘いの末に82歳の天寿をまっとうした彼の成功の秘密を、ゴルファー・サイドから考えてみたい。

 まず技術的には2S2H(Short Straight Hollow Hosel)システムの導入。これはホーゼルを短くしシャフトをヘッドのソールに届かせたことで、打球のコントロール性能を著しく高めたもの。かつてピンの創設者カーステン・ソルハイム氏が開発したトゥーヒール・バランスのパターやキャビティのアイアンに匹敵する歴史的なアイデアだった。

 キャロウェイの技術を支える大黒柱はリチャード・ヘルムステッター。ビリヤードのキューを製作する会社を経営していたことで、十数年埼玉に住んだ日本語が堪能な米国人。まだ柿材ヒッコリーが主力だった80年代、キャロウェイ氏に誘われクラブデザインを開始したのだが、ヘルムステッターの能力を最大限に引き出した経営的な手腕がなければ、今日のキャロウェイの成功は考えられない。

 今年1月キャロウェイゴルフは、ルールの総本山USGA(米国ゴルフ協会)のルールに不適合のドライバーを、「不適合」と言明して発売した。飛ぶドライバー。超人気のERCll(イーアールシー・ツー)を出した彼の根拠は、次のようなものだった。

 「世界のゴルファーの約9割は、リクレーションのゴルフを楽しんでいる。(競技ゴルフではない。)そんな彼らにタイガー・ウッズたち世界的なプロと同じ厳しいルールを押しつけることは疑問だ。

 それよりアマチュアのスコアメークに少しでも役立つ用具を、メーカーとして開発することの重要性を認識すべきだ。飛べば楽しさが増すのだ。」

 それより1年前に発売したボールの名前は「ルール35」。明文化されたゴルフのルールは34項目まで。35番目とかそれ以降のルールは「楽しむこと」がすべてとの、発想から生まれたネーミングだった。

 今春、アニカ・ソレンスタムが、女子ゴルフ史上初めて1ラウンド60の壁を突破している。この時の使用クラブは2S2Hだったし、ボールもルール35
だった。大衆ゴルファーの味方を旗印にした経営者は、ツアーの頂点でも歴史を書き換えたことになる。合掌。

まずは皆さんに質問。キャロウェイという名前の由来をご存じだろうか?というと「もちろん、知ってるよ。馬鹿にするな!」と怒る人もいるはず。少なくとも「キャロウェイマニア」を自認する人にはちょっと失礼な質問だったかもしれないが、知らない人には絶対に分からない。そこで今回は、キャロウェイの名前について解説してみよう。ズバリ、キャロウェイとは人の名前である。
1982
年、CallawayHickory Stick USAIncを設立し、3本のクラシカルなウェッジと3本のパターをリリースしたのが、誰あろう、エリー・R・キャロウェイだったというわけだ。1922年、ジョージアの農園に生まれたエリー氏。10歳の頃、両親から1本の桃の木をプレゼントされると、成った実を近くのスーパーに売ってまた1本の木を買い、また成った実をスーパーに売って1本買い足しと繰り返すうち、高校生の頃にはちょっとした果樹園のオーナーになっていたというから、生まれつき商売の才能には恵まれていたと言えるだろう。

その後、テキスタイルの会社でプレジデントを務めていた彼が、やるからにはCEOになりたいと、1972年、50歳の時に始めたのが、南カリフォルニアでのワインビジネスだった。当時、南カリフォルニアはワインの愛好者の多い地域として知られてはいたものの、ここでワインを作ろうなどと考えていた人間は一人としていなかった。この地域は、ワインに不可欠なブドウの栽培に適していないと思われていたからだ。

ところが、エリー氏は、その南カリフォルニアにワインの栽培に適した気象条件のところを発見、ここに150エーカーの土地を購入してキャロウェイ・ワイナリーを設立した。
もちろん、当初は無名のワインを買う人などおらず、苦労したとか。そこで、一計を案じたエリー氏、ブロンドヘアーの美人セールスウーマンキャロウェイガールズによる販売作戦を展開したところ、これが大ヒット。同社のワインは売れに売れたそうだ。

そして1982年、エリー氏は、かねてからの念願だったゴルフビジネスに進出することになる。そもそもエリー氏は、母方の親戚があのボビー・ジョーンズであり、祖先には現在のハンディ法の基を築いたライオネル・キャロウェイがいるというゴルフ界のサラブレッドとも言える人。もちろん、ゴルフの腕前もハンディ+1とプロ級の彼が、この世界に登場してくるのは当然すぎるほど当然なことなのだ。
その後の話はいずれまた。マニアの皆さんがワクワクするような面白い話が次々登場するはずだ。

失敗は成功の母、昔の人は本当にうまいことを言ったものだ。現在のキャロウェイの繁栄があるのは、まさにこのことわざを地でいったもの。一つの失敗からすべてが始まったからだ。それはRC・ヘルムステッターが新しいウェッジをデザインしていた時のこと。彼は誤って設計値をはるかにオーバーする重量のウェッジを作ってしまった。
全体を削って小さくしても、ホーゼルを可能な限り短くしても、設計値には全く届かない。困り果てた彼は、ついには最後の手段としてホーゼルをドリルで貫通させるという他の人には絶対マネのできない、というよりも考えるはずのない荒技を思いつき、それを実行することにした。

貫通したホーゼルにシャフトを装着し、クラブとして仕上げたうえでテストをしたところ、不都合な点は何一つとして見つからなかった。それより、貫通することによって削り取られた26gの鉄の重さがアイアンのデザインに有効利用できるのではないか、つまり「これだけの重量の余力があれば、他にはできない重量配分を持ったキャビティバックデザインのアイアンを作ることができるのではないだろうか」と、ヘルムステッターは考えたのだ。

さすが天才はひらめきが違う。そして、彼がこう発想した時こそ、キャロウェイが新しいゴルフクラブの時代の幕を開けたといってもいいだろう。その後、ヘルムステッターは何度となく試行錯誤を繰り返し、1988年、ついには短くて(Short)真っすぐに(Straight)貫通した(Hollow)ホーゼル(Hosel)を持ったクラブ「S2H2」を完成させた。
それは、同社の創設者であるエリー・R・キャロウェイならではのビジネス哲学“Demonstrably superior and pleasihglydifferent”(明らかに優れていて、違いを楽しませてくれるもの)を実現するクラブであり、以後、キャロウェイが制作するすべてのクラブには、このコンセプトが採用されることとなったのだった。

人は一つのあやまちや失敗を経験すると、どうしてもそこで投げ出してしまったり、立ち止まったりしてしまうのが普通である。しかし、キャロウェイの人たちは違っていた。そうした逆境にめげることなく、むしろそれをバネにして、新しい発見へとつなげていったのだ。
恐るべし、キャロウェイ魂!
そんな人たちが心を込めて一生懸命に作っているクラブだからこそ、世界中のゴルファーに愛されているのも当たり前の話ではないだろうか。

今や一世を風靡したメタルウッド。その第一号は、1980年代前半にテーラーメイドから発売されたものだった。しかし、当時のメタルは、ヘッド体積が小さかったためにスウィートエリアも狭く、このクラブを使いこなすためには、それなりの技術を持った上級者レベルのヘッドスピードが必要とされた。つまり、その頃にはアベレージゴルファーが使えるメタルは、まだ存在していなかったのだ。
そんな中、1988年、華々しくデビューしたのがキャロウェイの「S2H2」だった。
ホーゼルをヘッドの内部に入れてしまうという大胆かつ斬新な構造により、ホーゼル部分の重量をヘッドに配分して大型化を実現、このことによってメタルウッドは一気に多くのゴルファーへと浸透していった。

ホーゼルをヘッドの内部に入れてしまうという大胆かつ斬新な構造により、ホーゼル部分の重量をヘッドに配分して大型化を実現、このことによってメタルウッドは一気に多くのゴルファーへと浸透していった。
まさに、短くて(Short)真っすぐに(Straight)貫通した(Hollow)ホーゼル(Hosel)を持つ画期的なクラブ。「S2H2」は、それまでのゴルフの常識を根底からくつがえしてしまう大発明だったのだ(発明のきっかけがある失敗にあったことは前号でお話ししたとおり。読んでいない人で興味のある向きは、是非ともバックナンバーを注文すること)。「S2H2」の特徴は、次の3点にある。

1. ホーゼルを貫通することによって削り取られた鉄の重さ26gを効果的に重量配分することで、スウィートエリアの広い、ビギナーでも使えるやさしいクラブが現実のものとなった。
2.
打感がダイレクトにシャフトに伝わるため、ナイスショットの感触が得やすくなる。
3.
ホーゼルが短くなることでシャフトが約15インチ長くなり、その分バネ材として利用できるので、ヘッドスピードが上がる(=飛距離が伸びる)。

こうした3つのメリットを実現したのは他でもない、26gという重量だった。まさしく吹けば飛ぶような取るに足らないわずかな重量だが、この26gがとてつもなく大きかった。そのおかげで、いろいろなパフォーマンスを持ったクラブがこうして世に出てこられたのだから。
その後、キャロウェイが、ビッグバーサ、グレートビッグバーサ、ウォーバード、ホークアイなどといったゴルフ業界の歴史に残る名作を次々に発表していったことは皆さん、すでにご存じのはず。ただ、その第一歩がこの「S2H2」にあったことは、キャロウェイマニアなら絶対に覚えておいてほしいよね。

キャロウェイの名を高め、それまで2150万ドルだった年間売り上げを5470万ドルと、2倍以上にしたヒットクラブ、それがご存じ「ビッグバーサ」である。これぞ、ゴルフクラブの歴史に残る名作中の名作であり、このクラブをきっかけにキャロウェイマニアへの道を歩み出したという人も少なくないはずだ。
何しろ、この大型メタルウッドは、金属ヘッドの持つ長所を可能な限り引き出し、多くのアベレージゴルファーがより遠くへ、より正確に飛ばせるようにしてくれたのだから。1991年のPGAショーで大変な人気を博したのも当然のことだった。

ところで、キャロウェイマニアを自認するほどの皆さんなら「ビッグバーサ」というネーミングの由来はもちろん知っているでしょう、ね?何、知らない?ならば、教えてしんぜよう。実は「ビッグバーサ」とは、第一次世界大戦中に、ドイツのクルッペ社という会社が開発した長距離砲の愛称なのだ。
当時、この「ビッグバーサ」は世界最高の性能を有しており、遠くの目標を正確に打つことに関しては並ぶものがないほど画期的なものだった。連合軍はすさまじいまでの威力にただただ恐れおののくばかりだったというから、そのすごさが分かるだろう。

キャロウェイゴルフの創設者であるエリー・R・キャロウェイは、遠くに、正確に打つことのできるドライバーができた時、この名前を付けようと以前から考えていたのだという。だから、89年にS2H2コンセプトを持った新しいステンレスメタルウッドを発表した際には、「まだ自分の理想とするビッグバーサのイメージではない」と、あえてその名をつけなかった。

逆に言えば、プロジェクトが先にあって、キャロウェイ氏の熱き情熱を注いだのがこの「ビッグバーサ」であり、それだけキャロウェイ氏がこのクラブに対して絶大な自信を持っていたことに他ならないだろう。その登場以来、「ビッグバーサ」を持つ者と持たない者との間で、大きな差ができたことは皆さんご存じの通り。92年のシーズン終了時点で、「ビッグバーサ」がSPGA(シニア)、LPGA、ホーガンツアー(現在のナイキツアー)で使用率ナンバーワンのクラブとなったことは、それを証明する紛れもない事実なのだ。
「ビッグバーサ」の成功はキャロウェイゴルフを大きく前進させた。92228日、ニューヨーク証券取引所に株を公開できたのも「ビッグバーサ」があればこそ。そしてそれは、ゴルフクラブのメーカーとして初めての快挙だったのだ。

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